故郷に関するエトセトラ
"For a man who no longer has a homeland, writing becomes a place to live."
— Theodor Adorno
(もはや故郷を持たない者にとっては、書くことが住む場所になるのだ)
故郷がなくなった、いや自ら捨ててしまった
私にとってこの言葉はどう作用するのか...
救いとなる言葉なのだろうが、今ひとつ理解が追いつかない 自己表現することでアイデンティティの形成に繋がると言うことなのだろうか?色々な媒体で私は自身の考えを発信してきた 他人からすれば取るに足らないような内容で反応が無いことが大半なのだが、それでも書くこと つまり多少飛躍するが表現することが住む場所となっているのだろうか?
帰る故郷のない私に常に付き纏う孤独感を少しでも和らげる事の出来る救いの言葉なのだろうか?今のところ言葉の本質を理解出来ていない私にとっては何だがモヤモヤする言葉に過ぎない...
今こうやって悩んで逡巡していることこそがこの言葉の本質なのだろうか?
いやそもそも言葉に救ってもらおうなんて考えが甘いのかもしれない これまで他人に否定されて拒絶され続けた人生を誰かの言葉を頼りに自分自身を支えるのは限界がある 他人に否定され拒絶されたのなら同じくらい むしろそれ以上に同意され受け入れられるのが本質的な救いではないのだろうか?孤独を覚え何事も独りで乗り切ろうとしてきたが最早それらの行動は正常に作用しておらず 堂々巡りで行き場を失っている 他人に依存するのはよくない それは充分にわかっている しかし他人に救いを求めることは悪ではないのだ 頼るべき時に頼り支えて欲しい時に支えてもらう それくらいのわがままを言っても罪にはならないだろう
こんな堂々巡りの思考が私を作り上げている
こうも面倒な相手 人様からしたら願い下げであろう
自分を見誤ることなく生きねばならぬと実感した...