forgets-me-notsのブログ

思い煩うことなく愉しく生きよ

自己開示に関するエトセトラ

私は自己開示が苦手だ

いや苦手というよりしないほうが良いと

痛感することが多かったため憚るようになった


私自身実感することはあまりなかったが

側から見ればあまり幸せな家庭で育ったわけでなく

人生の来歴を話すと大抵の場合相手に引かれてしまう


こんな経験から馬鹿な私なりに学び

初対面の人やある程度距離感のある相手に対しては

自己開示を行わないように努めている

その方が多少なりとも不幸で自己肯定感の低い

自分自身を見せなくていいから

他者と関わるには気を遣わなくて良くなるのだ


私の人生の8割はなかったことにしている

あまり明るい過去がないし話していても楽しくない

それ故聞いている方も飽き飽きしてしまうだろう


悩み相談をすることが多いが

大抵は解決しない事ばかり

寧ろ解決しないからこそ話して共有したいのだと思う

解決することは自問自答すれば大抵どうにかなる

行き詰まりどうしようもないことを

相談という形で報告したいのだ


まあ当然解決なんてしないから

話してる私も話された相手も

何だかモヤモヤした感情に陥るので

相談することも辞めた方がいいのかと最近思い始めた


人はそれぞれ生まれた環境も違うし

育った環境も誰1人として同じではない

私より幸せな人は沢山いるだろうし

逆に不幸な人だって同程度いるだろう

自信を誇る訳でもなく卑下する訳でもない

ニュートラルな立場でいたい


がしかし主観及び客観的に考えた時

私の過去が足を引っ張り出す

過去を言い訳にするのは良くないと分かりつつも

ついつい追い込まれた時に過去のせいにし

逃げ道にしてしまう 我ながら卑怯者だ


ここまで具体例を出してないが、出すに出せないのだ

と言うのも理由は分からないが

過去の記憶がかなりぼんやりしているのである

思い出そうとしても記憶にない

家族の繋がりなんて全く持って記憶に残ってない

ぼやっと嫌なことがあったな

その程度で済ます問題ではきっとないが

深入りするほど記憶がないのでどうしようもない


人は嫌な経験を深く記憶を深く刻む傾向にあると思う

それはきっと同じ経験を繰り返さないため

けれど私は殆ど覚えていない

ひょっとするとある程度を

超えると忘れる仕組みなのか

人間の仕組みは不思議なものである


語れるほどの過去がない自分

誇れるほどのない現在の自分

明るい将来を見いだせない未来の自分

そんな空虚な自分と向き合い続けているが

何かこれといって残っているものはない


伽藍堂な私に人としての価値があるのか

考えれば考えるほど迷路に迷い込んでしまう

そんな人生をこれからもきっと歩むのだろう

ないものねだり

ないものねだり